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イベント報告
イベント報告 : チャイナサロン in 上海 旅行記録(その2〜田中さんの視点〜)
投稿者 : 小和 投稿日時: 2007-08-05 20:28:56 (2081 ヒット)

Chinasalon in 上海の思い出を、田中さんに改めてまとめていただきました。旅行者の立場から見える何気ない風景に対して、田中さんの鋭い分析が散りばめられています。ぜひ、ご一読ください。


 今回は周さんならではのツアーをお願いして、本当にそのようなユニークな旅行になりましたが、それはほかのメンバーもそれぞれユニークな貢献をしてくれたからだと、みなさんにお礼をしたい気持ちです。 欧米とアメリカは旅行をやり尽くした私なのですが、今回の旅行はものすごくインパクトがありました。目の前で起こることが、まさに信じられないことばかり、でした。一瞬一瞬が仰天の連続、という感じでした。

 


7/14  : 豫園、老西門、上海博物館、外灘


 14日(土)はみんなで豫園に行き豫園市場をブラブラした。小和、周さん、小美と一緒にお茶の店に入ったら、各種の中国茶をその場で淹れてくれて、お茶のお点前も見せてくれた。お湯の温度は80℃、お茶の量はほんのすこしだけ、最初注いだ湯は捨ててしまい、ニ番茶は60秒ほど漬けてから淹れる。これが一番美味しいが、色はほとんどなくて、香りがよい。三番茶を淹れるときは65秒、その次は70秒などとだんだん長くする。おチョコのような小さな茶碗で飲むのは、何回もすこしづつ違う味と香りを楽しめるためなのかもしれない。 このときに出されたいくつかのお菓子が美味しい。そのなかで何かのナッツをお茶と砂糖で「おこし」のように固めたお菓子が最高に美味しくて、これを買った。(自宅でも大好評だった。)小和も僕もお茶を土産に買った。
 豫園の庭園は、素晴らしい庭だ。周さんの説明では、それぞれの建物の部屋からは、お庭の異なる景色がまるで絵のように見ることができるようにデザインされているという。これだけの規模の庭と建物が、これだけ密集して造られた庭園は日本ではちょっと見たことがない。庭の作りは、日本の庭園よりも流れや、動きを感じさせるものになっている。 豫園にある南翔饅頭店は噂どおりのもの凄い人気で、昼時の行列の長さは信じられないほどだった。予約してあったので、すんなり入ることができ、メンバー全員も集まり、まずは乾杯。ここで周さんアレンジの中華料理第一弾が炸裂、という感じで、つぎからつぎへと珍しいお料理がでてきた。小籠包の一種で器の上面が饅頭状に蓋が作られ、真中にストローがドンと突き刺してあるものは、中のスープが熱いから気をつけるよう注意されたが、いくら注意して飲んでも、強烈な熱さで仰天。しかし肉の汁がうまい。そのほか、マツタケの土瓶蒸しのようなスープが出されたが、素晴らしい香りで、こんなのは日本の高級料亭でないと絶対に頂けない一品だ。


 午後はそれぞれ自由行動。僕はかねてからの予定どおり、老西門のあたりを歩いた。この辺りは昔の上海の雰囲気を残す地域だ。確かに、昔の東京にタイムスリップしたような風景が、あちこちに見ることができる。食堂のおばさんはイモの皮を路地でむいているし、男達はあちこちの路地でトランプのゲームに興じている。狭い路地の壁と壁の間にロープが張られて、洗濯物が満艦飾でぶら下がっている。(下着泥棒という概念がないのだろうか。) 何かの鳥の羽をむしったものが、6−7個、路地に釣り下がっている。(雨が降ったらどうするのだろう?) このあたりで小用を足したくなり、公衆便所らしきものを見つけた。覗くと、部屋には床しか見えない。逆の側にいくと、表示はないものの、男子用らしい作りになっており、(すごい臭いに耐えて)用を足す事ができた。ではさっきの方は女性用か。もう一度覗くと、穴のようなものが見えた。これが噂のあれか?
 つぎに上海博物館を訪ねた。大きく、立派で、近代的なビルだ。人民広場の隣にある。入場料はただに近い安さで、たくさんの若い人たちが来ている。膨大な展示があるのだが、オーディオガイドで説明のあるものだけをピックアップして廻ると、とても効率的に代表的な名作だけを見ることができる。ガイドの内容も、コンパクトで、しかも専門的過ぎず(欧州ではそういう専門過ぎる説明が多かった)にとてもよかった。青銅器、陶器、仏像がとくに印象深い。写真もOKなので、いくつか撮影した。古代では、陶器にせよ、青銅器にせよ、最初は酒などの容器であったものが、次第に装飾をほどこすようになり、大切な飾りになり、財力や呪術の象徴になっていったのかが、よく分かる。動物の顔などが、いきいきしている。
 夕食はホテルの近くのレストランに集合。ここでも、珍しい食べ物がつぎつぎに。これで70元とは信じられない。周さんのアレンジに感謝。 夕食後は外灘の夜景を見に行った。夏の夕涼みには絶好のスポットだ。携帯電話の威力で、この混雑のなかで全員が集まることができた。スイカ切り身を売っている男が「いたい、いたい、いたい」みたいな大声を上げている。なんて言っているんだろう。周さんが買いにいって「1元、1元」と言っていることを発見。周さんは美味しそうに食べた。


 


7/15  : 浦東、巨鹿路、真珠市場、衝山路


 15日、朝食で小美のビジネスパートナー?、佐藤さんから、上海での求人の状況の話を聞いた。現在、外資系の会社では年収2000万円程度の人材を集める需要はザラで、おまけに豪華マンション付きだという。「そんな高級の仕事だと、会社からの要求は厳しいから、いつ首になるかと心配ではないですか?」と聞くと、「いやーそんなことはないです。彼らにとっては、一流の会社に採用されたら、それがキャリアになるから、つぎが狙えるのです。しかし、日本の企業はそういう思い切った採用とレイオフができないから、一度雇った人をしっかり抱えるので、会社が好きなように食い物にされる傾向があります。」
 15日午前は、88階の金茂大厦(ビル)を訪ねる。ここにコーヒー一杯3000円という豪華カフェーがあるらしいが、どうもうまく見つからない。この浦東のエリアは高層ビルが林立し、しかもまだどんどん建築されている。ここは川を越えた地域だが、朝夕のトンネルの渋滞はものすごい。周さんの友人はこの辺りの高層ビルの高級マンションに住んでいるというが、さぞかし家賃は高いのだろう。(後日、マンションはガラガラだと聞いた。さらに後日、阿さんの話では、ガラガラの理由は二つ。一つは投資目的で沢山買った人が人を住まわせていない。もう一つはマンションの業者が、値が上がるまでじっと待っているため、だそうだ。)  昼食は浦東の紹興料理の店に行く。夜が忙しい阿郎も駆けつける。紹興酒に浸した豆が美味しい。生きた海老(ザリガニ?)がぴちぴちと跳ねる料理も珍しい。阿郎の解説で、首の後の殻から一気に毟り取るのが、殻の外し方だ。ここの小姐が、いままでのレストランの小姐と、そっくりの顔であるのに気づく。丸顔、目が細めで、二重まぶた、小柄、ヘアはひっつめている。(後日、中国の南方系でそのような容貌が多いと聞いた。)


  午後は、周さんの友人アメリカ人のリックさんの家を訪問。巨鹿路という、フランス租界の地区、つまり上海の一等地(麻布十番みたいなところ)にその家がある。豊かな街路樹の道をいくと、その番地には、普通の商店のような建物がある。(庭がなくて道まで一杯に建物がある。)中に入ると、ひんやりと涼しい。すぐに三階に通されるとそこは別世界だ。吹き抜けの高い天井の部屋の一面が本棚で、壁には美しいデザインの絵がかかる。(デザイナー)の謝さんが、われわれを迎えてくれた。謝さんは英語がうまい。ついつい英語での会話に。謝さんは、インテリアデザイナーで、この建物の一階をデザイン事務所として使っている。
 謝さんから、「周荘などの水郷に行く時は、必ず一泊しなさい、朝夕の観光客がいない時間の湖の風景は最高だから」と教えられた。また、上海の真珠市場では、真珠だけではなくて、質のよい衣服、雑貨、すべてが安く買えるとも。
 そこで、小和、阿郎と三人で真珠市場へ。ビルの中にたくさんの小さな店がならんでいて、いまは夏の閑散期らしくて、客も少ない。客引きの声がすごい。一軒に入って僕の初めての値引き交渉体験が始まる。まず店員が正価を言う。それは高いと言うと、ではいくらなら買うか、と聞いてくる。半額を示すと、猛烈な勢いで「冗談ではない、上質なんだよ、まあおまけして…」と、両者の中間の値を言う。このように中間中間を言い合って、最後は成立。僕はイージーな客なんだろう。一つ買うと、つぎにこれはどうか、と別のものを勧める。以上の手順はどこの店でもハンコをついたように同じだが、最初にこっちの値段を言ったときの、猛烈な反発ぶりが一番肝心のようだ。店の店員が、三人くらい同時に声をそろえて「そんな馬鹿な」みたいに叫ぶのが、ド迫力だ。3階まであるが、ここは一段と客が少ない。お客を引く女店員の声も、それだけ必死の願望がこもる。ある店では僕の手に取りすがってきて、「お願い、ちょっとだけ見て行って」と哀願された。ものすごい色気にたじたじとした。
 つぎに三人で、カルフールに行った。阿郎のいつも行くスーパーだ。ここでは交渉の必要がなく、もともと上海での妥当な価格が表示されているので、相場感がつかめるという。小和は中中辞典を購入。阿郎は、いくつかのドライフードと20年ものという紹興酒を購入。僕も同じ酒を買った。
 つぎに衝山路(上海の青山通りと呼ばれる)に行き、疲れたので、喫茶店に入った。茶坊と書いてある。竹の植えられたアプローチを進み、奥まった料亭みたいな建物に入ると中は広くて、落ち着いた雰囲気の喫茶店になっている。お茶のメニュをみたら68元というので、高くてびっくりした。しかし、お茶を頼むと、果物と、ドライフードがセルフのとり放題になっている。いろんなナッツなどをお皿に盛ってきて、お茶と一緒に頂ける。くるみを割るのに苦労している小和には、小姐がにっこり笑って「ツールをつかわなければダメよ」と、持ってきてくれた。この店では、カレーなどの軽食もこの価格に含まれるいう。サッカーのTV中継も見ることができ、つまり友人と数時間を過ごせる空間になっていて、これはロンドンのパブと似ていると思った。
 この日の最後は、三人でマッサージに行った。とても真面目な店で、健全性をアピールしている。全身マッサージが60元とは安い。服務員の女性がたっぷり一時間、揉んでくれたが大変な労働だ。こっちも、かなり痛くて、小和に習った「すこし軽くして」をいつ言おうかと迷っているうちに、中国語検定の問題集CDに出てきた、「痛得リーハイ」を思い出して、それを言ってしまった。とたんに、阿郎を揉んでいたベテランの女性がびっくりして、「どこか悪いところがあるのか」とすごく心配してくれた。耳で覚えた表現はよく通ずる。しかし痛いという単語はこれしか知らないのだから、困った。


 


7/16  : フランス租開地

 16日はフランス租開地をずっと歩いた。道の両側は、高い塀か、鉄柵の塀が続く。柵から中を見ると、広大な庭があって、その向うには大きな屋敷がある。パリの高級住宅街の感じがある。
 しかし、こうした広大な屋敷は一体誰が住んでいるのだろうか。社会主義の国で。そうして注意深く見ると、まず、軍隊、警察、などの公共の団体が使っているケースが多い。つぎに、各種の学校、教会など、公共的な性格の強い団体も多い。しかし、民間の住宅もある。住宅は大きな屋敷を分割して使用しているのだろうか。(そこで、トルストイの「戦争と平和」を思い出し革命後に、資産家の家に労働者が住み着いて、元の主が悲惨な思いをする場面を思い浮かべた。)上記の中国人ビジネスマンの話では、租界から返還された当初は確かにそのような分割で庶民が住んだ。しかし、トイレなどの公共設備は不便で、それを増設するのも難しかった。そのために、そうした豪邸が分割使用されるのは、合わなくなった。最近では、非常にリッチになった個人や企業がこうしたかつての豪邸を丸ごと買い取って、使用するケースが増えたという。
 上海の道路交通事情は仰天の連続で、カルチャーショックだったが、なにか無法地帯、という感じを受けた。たとえば、直進車優先とか、歩行者優先とか、の原則がないように思えた。しかし、ある人が説明してくれて納得した。ここでは、先にそのスペースを使用できる人(車、自転車、歩行者)が優先なのだという。日本では優先権をもつ人を妨げてはいけないのだが。つまり早い者勝ちということだ。それで納得したが、どうしてこういうカルチャが定着したのか。もしかしたら自転車が非常に優勢だった時代に、定着してしまったのではないだろうか。自転車なら在り得ることだ。

 


7/17  : 周荘


 17日に周荘にいきました。予想どおり、ガイドさんの説明は0%しか理解できませんでした。wei shenme さえ聞き取れず。したがって、自由時間から戻る時間を聞くのには大緊張した。そしてバスの場所に戻るのに苦労して最後から二人目でギリギリ間に合った。
 しかし、やっぱり中国語のツアーにしてよかった。wei shenme? それはバスの座席のまわりの人たちが、みんな(かわいそうにと思ったか)、協力してくれて、英語を交えて助けてくれ、食事も一緒にして、すっかり仲良くなってメールアドレスまで交換したためです。みんないい人たちでした。
 上記のバスツアーで親しくなった学生が、姉妹と一緒に来ている。二人も姉妹がいる。一人っ子のはずだが、と聞くと、お母さんが全部違うのだと行った。そういえば、三人ともまったく似ていなかった。しかし仲良かった。中国では5000元を払うと二人目が産めると彼は言う。8万円でOK?  帰りのフライトの隣の女性は中国語がうまいのに、日本のパスポートだ。聞いたら、夫婦とも中国人で日本に帰化して東京で働いているという。やはり姉がいる。5000元の話をしたら、農村にとっては5000元は大変だそうだ。上海では、ルールが変化しており、夫婦ともに一人っ子の場合は、二人目を産めるという。


  周荘で「生命判断」という看板のある店で客引きされた。聞くと自分の名前を読み込んだ「詩」を作って書いてくれるという。60元に値引きして作ってもらった。さらにこれを軸に、筆で書くと全部で180元だというので160元で軸にしてもらった。この字が素晴らしく美しい。落款も押してもらい、一緒に写真にも撮ってもらい、160元でこのサービスはすごい。周荘のとても素晴らしい記念になった。(田中健彦の四文字をかしらに、それぞれ7文字の詩だから、全部で28文字の軸になる。15分くらいかかった。)感謝してきた。しかしこれをぶら下げて町をあるくと、金持ちと思われたのか、店ごとに客引きの声がほんとうにすごかった。
 2年前に対日暴動があったが、それだけ対日感情が悪いのなら、靖国神社のような博物館がきっと上海にもあるだろう、と思って、会う人ごとに尋ねたが結局はないことが分かった。新天地にある共産党の第一回全人代の開催された記念館を訪ねたが、若干、欧米諸国についての記述があったものの、日本についての批判的な記述はなかった。上記の帰化した女性の話では北京など東北の方面でそのような感情が強いのではないか、と言っていた。


 


7/18  : 帰国

 帰りの飛行場まで、リニアモーターカーに乗った。切符を買おうとしたら「チケットを出せ」と言われた。チケットを買おうとしているのに。そのうちに飛行機の切符の意味と分かった。これで割引になったらしい。快適だったが、結構横揺れした。8:30より前だったために、時速は300Kmだった。
 空港で白酒を買った。飛行機に乗るときのセキュリティチェックで、これを見つけた係官がこれを取り出して、まるで麻薬を見つけたみたいに騒ぐ。そして、僕の手をつかんで「手を上げろ」というのだ。びっくりした。だってDutyFreeの店で買ったのに。別の係官が、僕を認識するのに手を上げさせたのだ。その係官はダンボールにお酒を入れて、成田まで送るという。そんなダンボールでは自分のものかどうか、わからないと抗議したが、預けた荷物と一緒にしてあげるから、と言う。成田では別々に出てきたが、自分のものかどうかを番号でチェックして認識した。数が少なかったからすぐに分かったが。そんなことを、お酒の売り場で説明してよ、と言いたい。

 


 こうして僕の5日間の上海旅行が修了した。脳みその奥の方までズーンと響くような、インパクトのある旅で、成田についてからも、ボーゼンとしてしまった。東京でのチャイナサロンでは到底味合えない、生きた中国の勉強ができて最高の幸せだ。企画してくれた周さんや、盛り上げてくれたみんなに心からお礼を言いたい。また、中国実地勉強やりましょう!


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